「アメリカ紀行 中学生が車座で勉強 議事堂は市民の心の拠り所」

 アメリカ最初の訪問地は「マディソン」であった。マディソンといえば、あのマディソンか、とあらぬ疑いをもたれる向きに、あらかじめ弁明しておかなければならない。
私でさえ、留守宅用の日程表を奥さんに渡すのを一瞬ためらったほどだからである。
多くの日本人は、マディソンンと言えば、あの中年男女の甘い物語が展開する、有名な映画「マディソン郡の橋」しか思いつかないであろう。
しかし、実はこのマディソンは、れっきとした合衆国ウィスコンシン州の州都、マディソンであったのである。
 このマディソンの自慢は、要するに州議会議事堂が、3メートルくらい背が低いだけで、ワシントンの合衆国議事堂と全く同じ作りであることである。議事堂の中には最高裁判所もあり、1ケ所で三権が分立している姿が読み取れる。


 どの部屋も豪華な絵画で飾られている。周辺の庭にはマグノリアが咲き誇り、議事堂はまさに、市民の憩いの場所である。議事堂内では常に中学生とおぼしき生徒が車座となり、その中心に立った先生から、熱心に説明を受けている。政治、行政に対するアメリカ人の心構えの違いを、いきなり知らされたような気がしたのである。


 私は6月県議会の冒頭で、視察旅行の報告を兼ねて、次のような発言を議長席で行った。「自由と人権を自らの手で勝ち得た、アメリカ合衆国国民は、議決機関としての議事堂を心の拠り所として、ことのほか大切にしている」と。そして、それがひいては国民が、政治を、政治家を、そして選挙を、格別大切にすることに繋がっているように思われたのである。政治を軽蔑しても政治はよくならない。政治を大切にすればそこから改革が生まれる。そして、それは議決機関たる議会をどの程度重く見るかに掛かっている。


 鳥取県でも、全中学校の3年生は、社会科の授業の1日を、県議会議場中央の広場で、車座になって過ごしていたいただきたいと心から願っている。私が日頃、口にする議会改革とは、議会というものを県民の皆さんに身近なものにすることであって、それ以外のものでは決してない。そして、そこからは情報公開も含めて、具体的な議会改革が自動的に進んでいくものと信じている。


 議場コンサートも、女性県議会も、移動県議会(ビッグ・シップで一日県議会を開催)も、全ての発想は、その一連の流れの中にある。その意味では、県民が憩い、かつ議員との接点となる、喫茶室を兼ねた「県民室」も議会棟になければならない。
 また、議会棟の3階にある傍聴席に上がるのに、エレベーターが無いなどは、出来るだけ早く改善されるべきである。議会棟の中に、いろいろな行政機関が間借りしていることも有り得べからざることである。


 議事堂が全ての中心であること、そしてそれは常に公開されていること、その整備のために金を惜しんではならない。また、話は多少飛躍するが、知事公舎が整備されることはいいとして、議長公舎の存在が話題にならないのは残念であるというのが私の率直な感想である。
 私は県の主催する海外の視察旅行では団長を努めたことはあるが、国レベルの視察旅行で団長を務めるのは初めての経験であった。


 私が団長として特に心懸けたことは、この度の全米州議会評議会交流訪問団は小規模の団体であったので、一行の志気を絶えず高めておく必要を感じていた。その為には多少奇抜なことをしてでも緊張感を保つべきだと考えていたのである。そして、結局考え至ったのは、訪問先で挨拶を求められたときは、必ず英語でそれを行うということであった。さぁ、それからが大変である。通訳兼務の添乗員と、辞書と首っ引きで文章を作ることが毎晩の仕事になってしまった。
 ちなみに、ウィスコンシン州上院議長との面接の際の、挨拶のさわりを、ここに紹介する。


 On behalf of our delegation members,I woud like to say few words in English.However,I'm not good at Engrish.So I need this manuscript.
Why now we come to study in the U.S.A?
present time,America enjoy the economic prosperity.
On the other hand.Japan is in the middle of economic depression.
 Japanese systems are old fashioned and not meeting wiht current requirment.
We may say this"fatigue of Japansse system".But,I belive that Japanese system have problems in managements,but their philosophy and regulations maypass for new era.On the other hand,America may be anxious for the future economic growth.It is a time for both countries to cooperate to solve these problems.
 Someday,when I come back to America.I wish I could communicate in Engrish without manuscript.Thank tou
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 この直後、期せずして出席の上院議員から盛大な拍手が沸き起こった。そして、「私には日本語をこれほど流暢に話すことが出来ない」と言って上院議員はうなだれた。私は日米決戦に勝ったのである。私の額にうっすらと汗が滲み出ていた。この英文は、恐らく「この英文の誤りを直せ」と言う格好の例題であろう。一方、これを辞書なしで解読することが出来れば、英検2級程度の能力があるとも言われているのであった。


「アメリカ紀行 英語圏との交流望む 素晴らしい日本人女性」

 ウィスコンシン州は千葉県と友好提携を結んでいる。
 そのためもあって、醤油のキッコーマンが企業進出している。したがって「ソイソース、プリーズ」といえば「KIKKOMAN-SHOYU,OK?」と答える。もちろん「OK」である。
 醤油さえあればなんだって食べられるのは実に不思議なことである。これは日本人だけの嗜好ではない。「醤油革命」は既に世界に定着している。


 鳥取県が環日本海交流を県政の主要テーマとしていることは全く正しいが、英語圏の国との交流を持たないのは正しくないと思う。当局はいち早くこの事を提案すべきであると思う。
 その後の旅程は、ニューヨーク、ワシントン、アトランタ、ロスアンゼルスへと移動する14日間の実に厳しい旅であった。そしてそれは国内だけで5時間の時差を持つアメリカの時差との戦いでもあった。


 ニューヨークでは、国連はこれまで何度か訪れたが、その内部をつぶさに視察したのは初めてのことであった。世界的チェロ奏者カザルスが演奏した総会議場はとくに印象が深かった。
 国連が国際政治の本当の舞台になる日はそう遠くないと思う。日本は、そうあるべく、あらん限りの努力をすべきであろう。その意味で、常任理事国入りを求めるのは当然のことである。


 山陰合同銀行の出張所に立ち寄った。事務所は何年か前、爆破事件のあった貿易センター内にあって、実に厳重な警戒の中、最上階のニューヨーク全体が、見渡せる部屋へ通された。
 ニューヨークには、30人くらいで鳥取県人会が組織されており、ニューヨークで有名な「めんちゃんこ」というラーメン屋は県人会会長の経営になるものである。県人会の人たちは、鳥取県のリーダーがニューヨークを素通りするのを、非常に残念がっていた。


 移民博物館のあるエリス島の視察も記憶に新しい。豪華客船タイタニック号は実はヨーロッパ大陸からアメリカ、「自由の女神」を目指した移民がその大半を占めていたことも、「タイタニック」という映画が人気を博している最中であったこともあって、感慨の深いものであった。
 ワシントンではホワイトハウスの内部の視察、合衆国議事堂の内部視察、全米州議会評議会(日本の全国議長会と同様の組織)との懇談、国会議員との面談など精力的にこなした。
 ワシントン、アトランタでお世話になった通訳の女性達は、慎ましやかで、しっかりしていて、日本人女性の素晴らしさに改めて感動した。「黄金の国ジパング」の黄金とはまさに人である。
 これある限り、日本はいずれ世界にとっても最も大切な国になる。この確信は私の中でますます揺るぎないものになっていった。
 丁度そのころ、日本から連絡が入った。県議会野球部監督の浜崎議員から、たっての願いとして「近々、県議会野球の中国大会がある。帰国直後で苦労をかけるが君がいなければ勝てない、ぜひ参加してほしい。これは鳥取県議会野球部全員の総意である」という。


 私はさっそくグロルーブを買い求め、添乗員と夕食前のひとときをキャッチボールで過ごした。そこにアメリカ人が素手で参加してきたのも楽しい思い出である。
 帰国後、私の活躍で、中国大会の優勝を勝ち取ったことも、別の意味で視察旅行の大きな思い出となった。
 最近、議員が海外に出ることに批判が集中しているが、多少の出費を恐れて、これをセーブすることがあれば、戦前の「井の中の蛙」に逆戻りするだけであろう。むしろ、誰彼を問わず、日本人は積極的に海外に出ることを怠ってはならないし、この点に関して、決して無駄を恐れることがあってはならないと思っている。
 そして、アメリカで学んだことを今一度総括するなら、政治の場に執行部と議会という二つの権力が分立している以上、程度の差はあれ、それは戦いであろう。議員にとって「議場は戦場」という言葉はダテではない。