「禁煙に挑む人々のために」

 「禁煙ほどたやすいものはない。私は百回も禁煙をした」


 これは、ことわざと言うにはあまりにも言い古された、陳腐な言い伝えである。しかし、じつはこのことが最も大切な、すべてのことの始まりなのである。
 「あなたは、いったい意志というものがあるの!」という心ないひと言によって、おとこは、いとも簡単に「絶対に禁煙しない」という強固な意志の持ち主に変身してしまうのである。



 じつは、私も百回以上禁煙した経験を持っている。いったん決意して捨てたたばこを、みじめにも拾いに帰ったり、三十日に限定して禁煙し、三十日目の夜中零時を待って、喫煙を再開したり、せっかく四十日禁煙に成功しながら、ちょっとしたストレスのためにその苦心をふいにした思い出も苦い記憶として残っている。


 私がたばこを始めたきっかけは、はっきりと記憶している。
 おとこは、はたちになったらたばこと酒をやるものだという、妙な脅迫観念(?)にとらわれていたために過ぎない。
 そして、その一方で、たばこをやめようと考えだしたきっかけや日付ははっきりとはしていない。

 ひとつには、私の父が肺がんで死亡したこと。一日の喫煙本数かける喫煙年数が四百(一日二十本で二十年)を超えると、急激に肺がん発生率が増加するといった知識を持っていたことと関係があるだろう。


 十年に及ぶ禁煙との戦いの後、今からちょうど十五年前、私が四十五歳の時、私の恩師の還暦を祝う会が催された。
 たくさんの弟子たちが、次々とそれぞれの恩師の思い出を語っていた。その中でひときわ私の関心を引いたのは、次のようなひと言であった。


 「以前、教授が自分は子供が産まれた時にたばこをやめたと言われたのを記憶していて、私も最初の子供を授かった時にたばこをやめました。この点でも恩師には感謝しています」


 そして、それはちょうど私が四番目の子供を授かった矢先のことであった。この時、私はこれが私の禁煙への挑戦の最後のチャンスのような気がしたのである。
 喫煙には、いいイメージと悪いイメージとがある。
 たとえば、いいイメージの中には、朝の寝床の中の一本、食後の一服、仕事の後の一本、たばこを吸いながらの飲酒や麻雀、何かを思案しながらの一服など際限の無いほどある。
 一方、悪いイメージとしては、喫煙と肺がん死、死体解剖で見た真っ黒の肺臓、黒く汚れた歯、黄色い顔の皮膚、寝煙草で焼けた畳などなど。


 私の喫煙の秘けつは、たばこが吸いたいと思った時は、この喫煙のいいイメージが起こっている時であり、そのイメージを、その時々に即座に、そして徹底して悪いイメージに置き換えてしまうことであった。
 数分おきに起こってくる喫煙欲求を、まるでモグラたたきのように、禁煙の悪いイメージでたたきつぶす毎日は、そんなに容易なものではなかった。
 そして、数週間のこの戦いの後にその喫煙欲求の頻度は急速に激減していった。結果、十五年この状態が続いたのである。


 多分、精神科の専門医は、これを行動療法と言うだろう。しかし、私は勝手に、この療法に「藤井式イメージ療法」という名を付けている。