少子・高齢社会と時代の潮目

 1.意義大きかった介護保険。

 今から、30数年前、有吉佐和子さんが小説「恍惚の人」を発表した。著者の、痴呆(認知症)に対する知識は、専門家に匹敵するか、それ以上だった。


 当時、放置されていたこれらの患者さんたちは、夜中徘徊し交通事故に巻き込まれた。その上、身内の介護に疲れた人たちは悲惨な結末を迎えることになった。 自殺、殺人枚挙にいとまがなかった。しかし、政治はいっかな動かなかった。


 それから、ようやく30年近く経ってドイツの制度を模倣した「いわゆる介護保険」が成立した。事態は一挙に変わった。それから5年近く経って、不正請求だとか、介護現場でのいじめなどが話題になるが、これらは制御できないものではない。むしろ、介護保険の成果を誇るべきだろう。


 これから先残された、高齢者対策は、介護保険を維持することと同時に、健康な高齢者が生きがいをもって、社会に参画する制度の構築だろう。定年延長、年金制度の安定化などの他には、個人が対処すべき課題のほうが多いだろう。


 2.効果の乏しい少子化対策。

 一見、より急がれるはずの少子化対策が遅れたのには、大きく二つの理由があるだろう。一つは、その進行の激しさへの予測が遅れたこと。もう一つは高齢者対策のほうが、より具体的で、手をつけ易かったためと思われる。


 しかし、日本の将来を考えると、放置しておける問題ではない。やるべきことは幾つかすぐにでも思いつく。それは、「子供を生み育てやすい環境」で、ひとくくりされるものだ。教育費という財政的な問題は大きい。しかし、これは本来少子化以前の問題だったろうと思う。


 さて、それらの問題を全て揃えたとして、出生率が2,1以上に跳ね上がるだろうか?わたしはそう思わない。それは、人々が、子供を産まない理由は別の所にあるからだ。多くの女性たちが、子供を沢山生まないと決心しただけのことである。


 その昔、「貧乏人の子だくさん」という言い伝えを聞いたことがある。労働力として子供が沢山必要だったのだろうか。要約すると、とりあえず必要な対策は整えて、あとは少子社会の良さを検証してみることも必要だろう。


 3.大切なこの十年の政治・行政。カギは持続可能な社会保障。

 今日本は、国、地方あわせて、900兆円の借金を抱えている。国民総生産、いわゆる総売上は、500兆円少々。税収は45兆円。毎年、借金の元利償還に35兆円の借り入れを新たに起こしている。
 この状態を称して、「破産」と言わないのはどうしてだろうか。郵政民営化は必要だろうが、そんなものが「本丸」だとはとうてい思えない。


 今やるべき政策は、歳出の削減と増税しかない。そして、早く、借り入れを起こして、借金を返済する現在の悪循環から脱却すべきである。デフレに逆戻りしないためには、増税と個人消費を両立させる必要があるが、その為には、信頼できる社会保障制度の再構築が絶対条件になる。


 その上、歳出の削減は、行政改革以外に方法がない。政治、行政にかかる経費を半減でもしなければ、この破産状態から脱却は出来ないだろう。


 この10年で全てが決まる。そして、この4,5年で進むべき方向が定まらなければならない。


 4.新しい時代・成熟社会へ。

 この危機を乗り切ったあとに見える社会とはどういう社会だろうか。
 適度の人口を持ち、国民は、かなり高い程度の教養と情操を持っている。年金、医療、福祉は不足ない程度に整備されている。


 都市と地方はそれぞれの役割をもっている。東京は世界10指に入る都市機能を有している。地方では、近代的な農業が発展し、自給率は飛躍的に伸びている。


 日本は常に、世界の平和と経済発展に関心を持ち、地球環境を守る船頭でもある。人種的偏見を越えて、世界の中で最も尊敬される国家になっているだろう。


 しかし、これらは全て、大きなリスクを伴った10数年を乗りきった後のことである。


 「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは変化できる者である。」これは、ダーウィンの言葉だそうである。


平成17年3月21日