「国民主権をめざして」 

 現在、世界は、発展しつつある国と、成熟に到達した国が混在し、単一市場の中で、激
しい競争に明け暮れている。
 そして、そこには、当然の如く、各種の矛盾が起こる。
 日本は、すでに成熟社会であるのに、社会的な仕組みがそれに沿っておらず、あたかも
発展途上国のように混乱している。


1) 格差。
 現代、頻発する悲惨な、そして、理解に苦しむ事件の多くは、格差社会に原因している
部分が少なくない。
 その意味からも、格差の少ない社会が、正しい社会のあり方であり、その実現の為に努
力すべきであると思う。
 日本に於いて、総中流社会が一時的だが実現した。それは、経済が最高潮の時であった。
その総中流社会こそが、世界を、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言わしめたのである。
 今の成熟経済の中で、格差社会を無くし、総中流社会を実現するつもりなら、社会保障
が充実した社会を作る以外にない。


2) 国民主権。
 今や、成熟社会の落ち着きを取り戻す為に、政治が道筋を示す時である。
 その為には、政治は、党の利益ではなく、国の利益に従って行動すべきであり、今こそ、
国民の選択を仰ぐべき時であると、わたしは思う。
 その意味で、本来、解散権という「大権」を握っているのは国民ではないのだろうか。
 主権が国民にあることを、どうしたら実現出来るのだろうか。それは、完璧な三権分立
を確立すべきであって、決して、国権の最高機関は国会ではない。
 法治国家を唄うのなら、国権の最高機関は、むしろ司法である。
 案外と、評判の悪い「裁判員制度」が、国民主権を国民自身が自覚する絶好の機会を提
供するかも知れない。


3) 国連。
 日本が、世界唯一の被爆国として、非軍事、非戦の国家として、国連の安保理常任理事
国に参画することは、世界にとっても、日本にとっても、計り知れない意義がある。
 経済・金融の分野、食料・農業分野、地球環境保護の分野のみでなく、土木技術分野で
も大きな貢献が出来るだろう。
 そして、日本にはそれ以上のことが出来る。その為には、アメリカとの同盟を維持しな
がら、基本的な部分については、アメリカから自立しなければならない。
 資源のない日本が、科学技術立国を目指すのは当然のことだ。そして、科学技術の基本
的な部分は、軍事技術と繋がっている。
 航空機技術、宇宙開発技術、海洋開発技術などがその典型だ。これらの分野では、そろ
そろ、アメリカのくびきから開放されるべきだろう。
 自動車と家電だけで、国民を養っていくことは出来ない。


4) 世界化。
 日本にとって、世界化(グローバリゼーション)とは、商圏の圧倒的な拡大とみるべき
だろう。
 製造業だけでなく、農業、サービス業に於いても、産業・経済の分野に於いては、すで
に、国境のない世界が実現しつつある。
 これは、ある意味では、島国日本のチャンスである。
 多少の浮き沈みはあっても、日本はこのチャンスを、決して、逃してはならない。
 景気が悪くなると、すぐ、内需拡大といって、国債を発行するが、人口が減少しつつあ
る現在、「内需拡大」は死語に等しいと考えるべきだろう。
 かっての戦争で、領土拡張に失敗した日本が、平和裡に世界市場を手に入れたと、積極
的に受け取るべきである。


5) 英語。
 その時に当たって、外国語教育、とくに、英語教育の大切さは、言をまたない。
 英語教育は、小学校一年生から早急に導入すべきだ。高校入試にリスニングが採用され
ることは、日本人の英語力に大きく貢献をするだろう。
 英語を聞き取れることが、如何に、英語への興味を引くかは、想像以上だろう。
 日本語教育に対する心配は、日本に住んでいる限り、無用の心配というべきである。
 ここで、「外国語を知らないものは、自国語を知らない」と言う有名な言語学者の言葉
を引用する必要はないだろう。


6) 結語。
 今や、我々を取り巻く社会環境は完全に変わった。それは、主として「冷戦と高度成長
の終焉」によってもたらされたものである。
 われわれは、生活のあり方を含めて、全てを、出発点からの見直しが求められている。
 「改革の流れ」を止めてはならない理由が、そこにある。
 福田政権下で目論まれた、大連立構想は、実現していれば、ダイナミックな政界再編の
切っ掛けになったかも知れない。かくも「大掛かりな変化」こそ、求められているのだと
思う。
 そして、そうしなければ、戦後の枠組みから脱却し、この泥沼から脱出することも不可
能であろう。