「海軍あって、国家なし」。
「海軍反省会」の結論である。これは、昨年八月、終戦記念日にNHKで放映された。
数十人の元帝国海軍将校、下士官たちが、二十年間にわたって、四百回以上会合を持ち、
太平洋戦争の原因と結果について語り合った。そして、その議論の過程を数百本の録音
テープに残していた。

 至った結論は、戦争の発端から、敗戦に至るまで、全ての原因は、「海軍あって、
国家なし」という、組織の欠陥に由来するというものであった。

 そして、この日本の組織が持つ欠陥は、今でも、至る所に蔓延している。その典型は、
「省益あって、国益なし」だろう。



 「癒着と腐敗と無責任」、長期支配の帰結だった。自滅であった。それは、リーダー
不在の結果でもあった。

 これに、小選挙区制度が荷担した。かくして、政権交代が実現した。
 そして、国民の意を体して、民主党は情報公開へ向かった。国民に向かって、政治の
決定過程をあからさまにしようというのである。

 しかし、危うさが付きまとう。それは、民主党の統治構造が複雑な上に、鳩山首相に
一切の妥協を許さないほどの強い決意が見えないからだ。

 透明性、説明責任において、そして、外交、とくに日米関係などで、行き詰まる可能
性が、すでに、垣間見えている。

 組織作りにおける、小沢幹事長の苦心の程はわかるが、所詮は、日本の議会制民主主
義と三権分立は両立しないのである。

 官僚に丸投げしたり、完全支配を目論んだり、両極端に揺れるのは、組織上の欠陥が
あるからだ。

 首相公選制こそ望ましい。議会は、議決権を磨き、それに専念することだ。
 同時に、司法のトップも公選されるべきだろう。これは、裁判員制度に先行されるべ
きことである。

 総選挙の際におこなわれる、裁判官の信任投票は、ごまかしに過ぎない。


 当初の民主党の行き方は、丁度、片山県政、平井県政に似ていた。
 とくに、片山県政は、情報公開、法令遵守。そして、根回し県政を改めた。過去に学び、
過去の否定に始まった。

 鳥取県政における、過去のしがらみを断ち切った片山知事は、心身ともに、大変な消耗
をしたに違いない。

 人の慣れ親しんだ意識を変えるのは、ひとつの文化を変えるに等しい、骨の折れる仕事
なのである。想像を超えた意志がなければ成し得ない。

 二期八年で、いさぎよく去ったのは、改革のみちすじはつけたという、満足感があって
のことだろう。さいわい、この流れは、平井県政に、みごとに継承されている。

 その片山氏は、民主党政権の中枢に入り、持論の「事務次官制度」の廃止などが実現に
向かいつつある。

 そして同時に、鳥取県議会で、過半数を占める県議会自由民主党の責任は重い。
 地方自治は、文字通り、「自治」なのである。


 自民党は、「保守本流」などと言って、民主党と違った対立軸を、むりやりに立ち上げ
る必要はない。

 改革においては、民主党の先を行く覚悟こそ必要だ。むしろ、自民党は、同じ土俵で、
民主党との改革競争に参画すべきだ。

 目標は、世界に誇りうる民主国家の樹立である。
 そして、どちらの改革が優れているかを、国民に問うべきだ。そうすれば、国民は、
次なる政権交代を、もっと容易く、もっと早く選択することが出来る。

 自民党は、民主党マニフェストの「仕分け」から始めるがいい。


 民主党に欠けていると言われる経済対策の骨子は、「東アジア共同体構想」で十分だと
思う。中国、インドを含む、アジア全域が日本の内需である。

 国境線を消さなければ、日本の将来はない。それは、戦争によってではなく、友好交流
と、相互利益よって行われる。

 大切なことは、中国の台頭と、それに対する対応である。
 最早、中国は、日本がその過去の所業を謝ってばかりいるべき対象ではない。中国は、
世界第一の政治、経済大国になることが目に見えている。また、中国はそれを目指して
いる。

 そして、アメリカは、今後、中国に、大いに手を焼くことになる。謙虚な日本を、軽く
あしらっているようなわけにはいかない。

 アメリカは、一刻も早く、このことに気付き、日米が対等の国家としてものが言える
よう、むしろ、アメリカが先に動なければならない。

 そして、アメリカは、日本を国連常任理事国に参画させた上で、アメリカ、日本、ロシア
が、対中国政策を統一することが求められている。



 そもそも、アメリカが、日本の防衛に必要以上の、過剰な軍隊を駐留させ、日本に軍事
基地をもって、アジア、ロシア及び世界戦略を実行しようとするなら、理想の憲法といわれ
る「日本国憲法」を、危うくしていることに気付かなければならない。

「岐路に立つ日本」