最近の、日本と中国は、お互いに覇を競っているように感じられる。一方は、G−7を
誇り、他方は、G−2と言って、一方を無視しようとする。あるいは、一方を下位に置こ
うとする。
 しかし、言葉とは裏腹に、お互いに、自信がないから、大いなる不安を持ちながら、相
手より優れていることを主張して、無駄なエネルギーの消耗が続いている。
 要は、日中両国は、お互いに立ち位置が定まらない悩みをかかえている。アメリカが、
中国の方に気を遣うだけ、この点、日本の方が深刻のようだ。
 この流れを放置すれば、それに伴って、軍拡競争が始まることだろう。空母を持ち、集
団的自衛権が論じられ、いずれは、核武装が本気で議論されるだろう。

 鳥取県が誇る、古井嘉実氏が、日中友好に政治生命を賭けた時は、貧困にあえぎ、国
際社会から孤立していた中国に手を差し伸べるという状況であったように思う。それには
意味があったし、国交回復という形で大きな実を結んだことは疑う余地がない。
 しかし、現在は、状況は大きく変わり、お節介のような、あの時代の手法は最早通用し
ないし、場合によっては、お互い、礼を失することになるばかりか、問題の火に油を注ぐ
ことになりかねない。
 現在、日中友好の名の下に、慌てて走り回ってみても、決して、実りあるものにはなら
ないであろう。

 最近、ある場所で、たまたま、「日中夫婦論」という言葉を耳にする機会があった。夫婦
の間には、原則として、上下の関係はない。
 そして、良い夫婦とは、良く喧嘩するものだと言う人がある一方、不即不離の関係で、
黙っていても、お互いを思いやる関係が最高だという人もいる。そして、さらには、お互
いを必要とする関係であれば破綻することはないという人もいた。それぞれ、一考に値す
るものであろう。
 そして、良い家庭とは、自分の家族だけの幸せを考えてはいない。地域のこと、国のこ
と、あるいは、国際的なことまで、家庭内で議論される。
 世界一の人口を抱え、世界の資源をかき集め、公害を垂れ流しても、意に介さない。そ
んな家庭(国)が、近隣から尊敬されることはないし、一家の利益だけを考え、隣家の成
長に慌てふためき、競争しか頭にない家庭を誰が尊敬するだろうか。
 両国は冷静になって、日中双方、ある時は、夫の立場に立ち、ある時は、妻の立場に立
ちながら、お互いの対等を確認し、アジアや、宇宙を含む地球の発展のために力を尽くす
べきだろう。
 そして、ここを日中両国共通の目標にすべきだと思う。その前提として、首脳同士の頻
回の話し合い、行き来が、大前提だろう。

 先日中国・大阪総領事館主催で、関西の日中友好協会の幹部が集まって、近況報告会が
行われた。
 その席に、岡山日中友好協会から提出された資料の中に、「医療を通じての交流」の記
録があった。これまでの交流が、自治体を中心にした交流であったが、政治が介在すると、
突然交流が頓挫する危険がある。
 今後の交流として、医療、介護の交流は、両国の交流の中心に育っていくような気がす
る。早速、わたしが関わっている病院、介護施設も動こうと思う。
 仮に、全国四七都道府県が、それぞれの友好提携先と、医療、介護の友好提携関係を持
てればその先に、大きな成果が期待できるのではないかと思う。

 ここに至って、「遠山を望むが如く」という日本古来の武道の言い伝えを思い出す。

「遠山を望むが如く」